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仲田 徳三
仲田 徳三 (なかだ とくぞう)

生年月日:1868年(明治元年)8月5日

出生地:沖縄県国頭郡金武町

没年月日:1962年(昭和37年)9月17日(満94歳)

所属政党:民友倶楽部(立憲政友会系)

衆議院議員

在任期間:1920年 -

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仲田 徳三(なかだ とくぞう、1868年(明治元年)8月5日)- 1962年(昭和37年)9月17日)は、
沖縄県出身の教育者、政治家。衆議院議員。

経歴

1868年(明治元年)金武間切金武(現国頭郡金武町)で、仲田林之助の長男として生まれる。

1890年(明治23年)沖縄県尋常師範学校を卒業し、二年間、国頭郡内の各小学校で教鞭をとった。

1892年(明治25年)県費留学生として東京の大日本水産会附属水産伝習所で学んで、

1894年(明治27年)に卒業。帰郷後、水産事業を起こすが成功せず、一時鹿児島県に居住してまた帰郷し、

    国頭高等小学校・恩納小学校で教員を務めた。

1900年(明治33年)12月、台湾に渡り台湾国語学校で研修を受けた後、

1901年(明治34年)5月から台中苗粟学校で教鞭をとった。

1903年(明治36年)8月、帰郷して金武間切長(金武村長)に就任し1905年(明治38年)8月まで在任。

    その後上京して、日本大学で一年間、法政経済を学んだ。

1906年(明治39年)に帰郷し農業を営み、国頭郡組合議員を務めた。

1909年(明治42年)第1回県会議員選挙で当選(第四区の国頭地区)し、

    県議に連続三期選出され、県会議長も務めた。

    県議会副議長:大正6年〜8年、県議会議長:大正8年6月〜大正9年5月

1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙で沖縄県第四区(国頭郡)から

    民友倶楽部(立憲政友会系)所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。

    任期満了後は農業に従事する(大正13年:57歳)。

1962年(昭和37年)満94歳で没す。


「人格高潔、識見高く、気骨稜々、世人敬慕の的となる又宜なりというべし。

平時は農事にいそしみ村民をして勤勉の気風を養成するに勤め、

自ら指導者となり、諄々として教えて倦まず、近世稀に見る高風の人なり」。

中略「飲めば斗酒尚辞せざるにも拘わらず、出所進退に整然たる亦珍とすべきなり」

:仲田徳三の人柄、風格を短く力強い美文でまとめている。


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